<障害児を育てる>障害児の受容を目指すインクルーシブ教育
こんにちは。
いつもご覧いただきありがとうございます。
先ほど、恒例のうさぎ神社(調神社)に参拝した後、いつもお散歩する公園に行ったお話をしました。
そのなかで、久しぶりに息子1くんの行動に対し、ひそひそ話と冷たい視線を向けられ、1つの感情を思い出しました。
偏見の目っていうものです。
障害児を「偏見」の目でみる人たち
重度の知的障害を持った息子1くんを距離を置いた眼で見る人が一定数いるのは仕方のないことです。
だって少数派だから。
きっと何十年も前から比べたら、ずっと理解してくれる人(がっちりでも、にわかでもいい)は増加しているんだと思います。
息子1くんは知的レベルは2歳程度ですが、おかげさまで体つきは中学生らしく母を追い抜こうとしています(-_-;)
なので、最近は「親のしつけが~」とか、「目を離さないでちゃんと育てなさい」「親の愛情が足りないのよ」などと見ず知らずの人から怒鳴られることななくなりました。
知らない人からでも「障害者認定」されてる気分です(笑)
まあ、息子1くん自身がちょっと成長したというのも大きな変化ではありますが。
そんなふうに「子育てがなってない」という人たちはやはりご年配の方が圧倒的に多かった気がします。
でも、反対に直接は何も言ってこないけど、距離をしっかりとってくるママさんは年代問わずにいらっしゃいます。
それが悪いとは言わないけどね。
障害児を受容して下さいとも言いませんけどね。
「偏見」は、育った環境によって決まる
本当に小さな幼稚園くらいの子たちは「障害」なんて知りません。
でも、障害のある子が「みんなができることが、できないこともある」のは分かります。
そして自分たちが親にしてもらいように無償の優しさ、本能的な動きで「その子のできないことを自然にサポートしてくれる」ことが多いです。
息子1くんは、もう大きいので、そんな小さい子は逆によってきませんが(笑)
(息子1くんも小さい子が怖いので)
ですので、わたしは障害児を受容できるかどうかについて、
小さな子が障害のある子と接したときの、親の反応・対応がその子の今後の「障害者へのイメージや障害を持った人への接し方を大きく左右する」のだと思うのです。
「できないことはだれでもあるもんね、困っている人がいたら手伝ってあげればいいんだよね」と肯定的に取って受容できるか、
「あの子は〇〇もできないんだね、大変だね、かわいそうだね」とマイナスイメージでとって偏見の目でみるか、
という「保護者の障害者へのとらえ方」による声掛けの選択の積み重ねで出来上がっているんです。
くるくる回っている息子1くんを見たら,
「なんかうれしそうだね、早く回っててすごいね、喜んでる表現なんだね、面白いね」と受け入れてくれるか、
「あんなに大きいのに回ってて変だね、どこか他の人と違うね、恥ずかしいね」と避けて通るかです。
インクルーシブ教育
インクルーシブ教育という言葉をご存知でしょうか?
簡単に言うと、障害のある人もない人も、だれもが望めば同じ場所で学べるし、必要であれば合理的な配慮を行って地域の普通学級で学ぶことです。
うちの息子1くんのように重度の障害がある子には少し難しいですが、軽度の障害がある子、グレーゾーンの子には望ましい考え方だと思います。
わたしがこのインクルーシブ教育をいいと思うのは、小さいころから「障害を持った人が近くにいるのが当たり前」という環境が形成されるからです。
小さい頃はだれもが、みんなに優しくできるので、障害児(者)を受容することが当たり前の考えとした「心が育まれる」のです。
教育は机に向かう「勉強」だけではなく、人の心を「教え育む」ことです。
インクルーシブ教育には健常児の保護者の理解が必要
でも、現状は言っちゃ悪いですけど、「障害のある人との付き合い方は、その人が育った環境で学んでくるもの」ですよね。
インクルーシブ教育の難しい点は、軽度でも障害のある子の親が感じるのは、健常児の親御さんへの引け目です。
迷惑かけてしまっているな、うちの子だけできていないな、ほかの子がしないことして目立ってる、変な目で見られてないかな?などなど。
障害児を育てる親の気苦労は絶えません。もちろん、人様に迷惑をかけないように人一番気を遣って、ほかの子に追いつけるように努力もいっぱいしているんです。
インクルーシブ教育で更に大事なのは、健常児の親御さんが「障害を持った子を区別するような言葉」や「かわいそうな目」ましてや「偏見の目」で見ないことです。
健常児の障害者に対する態度で「親御さんの考え方とか、どんな教育を受けてきたか」がわかりますよ~って話。
付け加えるなら、言っちゃ悪いですけど、ぜひ「誰だって平等に自分が障害者になる可能性も、障害者と親族関係になる可能性はある」という視点を持ってください。
障害者の理解を深めるインクルーシブ教育
わたし自身、息子1くんをすべて受け入れきれているかもわかりません。
特別支援学校の先生だって、デイサービスのスタッフさんだって、役所の職員さんだって、「障害者の受容」や「障害に対しての理解の程度」に個人差は大ありです。
だからこそ、小さいころから「障害を持った人が近くにいるのが当たり前」という環境が形成されるインクルーシブ教育は必要です。
「障害者・障害児にはまだまだ生きにくい世界」が少しでも緩和されていくことを切に願います。
「障害児をもったとき(障害者になったとき)、
不安や暗い気持ちで押しつぶされない時代になってほしい」
最後に偏見の目にいいたい
息子1くんは突然大きな声を出してしまうけど、
かなり大きい声で、狭い道のど真ん中で長時間井戸端会議してる人いるじゃん。
場所考えないで大きい声で電話してたりするじゃん。
息子1くんは突然走り出してしまうけど、
後方確認しないで飛び出す自転車とか、横断歩道じゃないのに無理やりわたる人いるじゃん。
息子1くんパニックになって暴れてしまうけど、
その辺にごみ捨てたり、公共物大事にしなかったりする人いるじゃん。
息子1くんは人にぶつかってしまうこともあるけど、
歩きスマホ・自転車イヤホンしてる人言われたくないから。
「できないけど一生懸命生きてる人」と「できるのにわかっているのにやらない人」ですよ。って(笑)
普段わたしがいつもにこにこしているのは、まわりの健常者のご機嫌を取る為ではありません。
「怒っている人・機嫌の悪い人」が苦手な息子1くんの為や、
障害児のきょうだいといわれる娘ちゃん・息子2くんが強く生きる為だから。
と、障害のある子、障害のない子、両方を育てる母として思うことです。
失礼なことを散々書きまして、申し訳ありません。
不快に思われた方にはお詫びします。
最後までお付き合いただきありがとうございました。
みなさんに素敵な日になりますように~