<障害児を育てる>鏡花水月 重度知的障害児の忘れられない奇跡
こんにちは。
いつもご覧いただきありがとうございます。
忙しさに追われてしまうと、空を見上げたり、花の美しさ、季節の変化に気付きにくくなってしまいますね。
わたし自身、子どもを持つまでは、日々に忙殺され、景色なんて1つも見えていなかったように思います。
子どもたちのペースに合わせて歩くうち「世界はこんなにも色鮮やかだった」ことに気付かせてもらえるようになりました。
鏡花水月とは
ブログのタイトルにつけさせてもらっている「鏡花水月」は四字熟語です。
ご存知の方も多いと思いますが、意味をご紹介します。
文字の通り、表しているのは
「鏡に映った花」と「水面に映った月」です。
想像するだけで美しい光景ではないですか?
鏡花水月の意味としては、
①目に見えるのに、決して触れることはできない美しいもの。儚い幻。
②感じることはできるのに、うまく説明できない趣深さ。奥深さ。
という2つの意味を持っています。
一瞬の美しさが広がる万華鏡のようなイメージも、わたしは感じています。
誰かに伝えたいのに、うまく伝える事の出来ないもどかしさ、長くは続かない儚さが漂った言葉だと思います。
重度知的障害児の感じる美しさ
わたしはこの言葉に、やはり重度知的障害と自閉症と共に生きる息子1くんを重ねてしまいます。
言葉が話せない息子1くんの想いは、分かりそうで分からない。
何度も繰り返して出来るようになるようでならない、儚さ。
言葉の代わりに行動で示してくれる一瞬の優しさは、見逃したら気づけない。
反射したキラキラ輝く光を一心に見つめ続ける瞳。
でもその瞳には、不思議と映らないモノもたくさんある。
反対に変化したものを見つけるのは、だれよりも早い。
理解してもらうのは難しいけど、そこにある息子1くんの真実。
その瞳に映るのは、「どんなもの」って決まっているのかな。
重度知的障害児の好きなモノ
息子1くんが好んで眺めるモノはいくつかあります。
流れている水(特にきらきら光る感じが好き)
サンキャッチャーで輝く光
日光にかざした手をゆらゆらして、もれてくる光
夜道の車のライト
芽吹いたばかりの若葉
キレイに開花した花々
歩くとカサカサなる落ち葉
見上げれば落ちてくる雨粒
オルゴールの音(音を聞いて、音を見ているように見えます)
その時期その時の「いまここにあるもの」が好きです。
いつも何かに気をはっている息子1くんが、
浮かべる満面の笑顔がそこにあります。
重度知的障害児の笑顔は奇跡
息子1くんは目を合わせる事はほとんどありません。
小さいころから、いつもそっぽを向いています。
(機嫌がよくて)返事をするときも、目線は外します。
それは、それで仕方のないことで、彼の気持ちが目線の先なるわけではないのです。
でも、もし視線があったら、わたしはうれしいです。
息子1くん4歳のころ、めちゃくちゃ大変だった4歳のころ。
息子1くんはまだ生後半年くらいの認識しかできていませんでした。
わたしはずっと仕事もしつつワンオペでしたし、障害に理解もなく帰ってこない夫。
娘ちゃん5歳、息子2くん1歳というかなり過酷な子育て状況でした。
いつもイライラが隠せなかったわたしが、息子1くんをつい大きな声で呼んでしまった事があります。
呼んだって名前の認識がまだないのだから、振り返りすらしないはずだったのに。
「息子1くん!!」
「はいっ」
満面の笑みで振り返った息子1くんがいました。
わたしは精神的にもかなり参っていた時期だったせいもあり、ただただ涙があふれてきました。
本当は抱きしめたい感覚でしたが、
抱きしめられることを極度に嫌う息子1くんを、
腕の中には入れられない。
その儚さがまた忘れられない理由の一つかもしれません。
「偶然が重なっただけ」だったのに、わたしにはあの瞬間が奇跡で、いまだに輝いて見えます。
以降10年以上たちますが、いまだに笑顔で返事はしてくれません( ;∀;)
儚い幻であっても、奇跡であっても、あの笑顔は本物でした。
障害児を育てる親に奇跡を
障害を持った子供を育てるのは大変です。健常児でも大変なのですから当たり前です。
そんな子だからこそ、普段なら何とも思わない光景が「奇跡の光景」になる瞬間があります。
わたし自身、前が見えないくらい、下ばかり向いていた日々もありました。
だからこそ、思い出すだけで笑顔になれる瞬間が多く訪れる事を願います。
鏡花水月は忘れられない奇跡の瞬間
鏡花水月はきっと誰にでも思い当たる瞬間だと思います。
それを感じられるような自分でいたいと願います。
儚いけど、美しすぎる、皆様の鏡花水月を見つけて下さい。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。